
Vol.4 楠 行博 YUKIHIRO KUSUNOKI | (株)タイヨーパッケージ 会長
Blue Guitarsのスタッフがインタビュアーとしてお送りするWEBマガジン 「Life with Music」
様々なフィールドで自己表現する人たちの日常と、その暮らしの中の音楽の在り方についてクローズアップします。
Vol.4は現在72歳 タイヨーパッケージの会長である 楠 行博さん。
同社社長として手腕を振るっていたときに、ふとしたきっかけで手にしたエレキギター…そしてstilbluとの出会い。
仕事とは音楽と、そして生き方とは?
楠 行博
1949年8月1日 貼箱屋の長男として富山市に生まれる。日本大学商学部経営学科でマーケティングを専攻。夜間は桑沢デザイン研究所にてパッケージデザインを学ぶためにダブルスクール。卒業後は東京の大手製紙会社に就職し印刷部門でデザイン4年半担当。1976年にアメリカはサンフランシスコ、美術大学として全米最大規模のAcademy of Art Universityへ入学し1年修了。翌77年にタイヨーパッケージ入社、43歳で社長に就任、現在は会長を務める。

「とっても、ちょうど、いい加減」
自身の人生観をそう語る。
仕事以外のプライベートはどう過ごしているのか。
「G3(爺さん)の3Gをやってます。まずはゴルフ(Golf)、ジム(Gym)、そしてギター(Guitar)」
43歳で社長に就任後「50歳が近づいたタイミングでゴルフが下手ではご愛敬では済まないと思い、レッスンプロに師事。自身では「大した事ない」と言いながらも様々な大会で優勝した実績を持ち、ゴルフのみならず技術を研鑽する上でレッスンプロにつく重要性に気付く。趣味と言えど「目標を持ち続ける事が大事」と、なかなかストイックな一面も。
20代の頃に触れた音楽
当時はエリック・クラプトンやサンタナが流行っていたと言う。就職してからはなかなか音楽に触れることができなかったが、当時はフォークブーム全盛期。
「フォークギターは持ってたんです。ロックではなくて。アンプで音を出す場所もないしバンドも組んでない。そうすると一人でできるのがフォークだった」と話す。
「一人でアルペジオやコード弾きで楽しんでいた時、会社の後輩からバンドに誘われて」
当時会社の独身寮の中庭でThe Tigers/花の首飾りやアニマルズ/朝日のあたる家などを仲間で演奏。その頃はみんな音楽の好みもバラバラ。お互いに好きな曲を持ち寄って演奏を楽しんだという。

忘れられないあの一曲
stilbluとの出会い
学生時代の1960年代後半にジャズマスターに憧れを持つ。
当時初任給が3万円の時代に20万円の価格だったためそのまま憧れの存在に。
還暦を迎えてからは憧れだったジャズマスターやストラトキャスターを所有、Johnny B. Goodeを弾くために“セミアコ”を購入するも、いずれも自身にフィットしなかった。
そこで当時のギター講師からの勧めもあり、ギターのオーダーメイドに興味を持つ。それがstilbluだった。
好きな音がそこにあった
楠氏からいただいたオーダー内容は、それまでの音楽経験、想い、サウンド、細かな弾き心地まで、時間をかけて打合せし製作。
実際に完成したModel-Tは実にユニークなスペックだ。
カラーリングはタイヨーパッケージのコーポレートカラーから着想。フロントピックアップには通常のシングルコイルではなくワイドレンジ・ハムバッカーを搭載しトラッドにも太いサウンドをカバー。ロックンロールに欠かせないピースの一つともなるビグスビーを採用するなどオリジナリティ溢れる仕上がり。アメリカンでロックンロールを意識したスペックの中にもボディカラーとブラスピックガードの対比はどこか和を感じさせる。
「好きな音、やりたい音楽の集大成がstilblu Model-Tのオーダーだった。」学生時代から変わることに無い一貫した想い、それを継続させるポイントを聞くと、「楽しいからだろうな…」
その一言には人生観である「とっても、ちょうど、いい加減」の絶妙な温度感が伝わってきた。
タイヨーパッケージの美麗なエントランスにて
楠氏と彼のstilblu