記念すべき第一号は、ニューヨークにて10年以上に及ぶ音楽活動の後、地元の富山県高岡市に拠点を移し全国に向けて自身の音楽を発信している「Robin’s Egg Blue」の石浦 雅にクローズアップ。最先端の表現が生み出されるNYCの街で彼が見たもの、そして富山に戻って感じていること、これからについて・・・
単身でニューヨークへ移り住み、出会った音楽、文化、そして人・・・
石浦雅がアメリカに単身渡ったのは彼が20代前半の頃。ブルースを学生時代に師事しギター小僧だった彼はNYCに下り立ちギタリストでいることを止めた。NYCの街は想像以上にクリエイティブで先進的だった。ある意味では挫折だったのかもしれない。ただし、もともと音を彩るセンスに長けていた彼は勝負する土俵を変えた。その独自のセンスを生かしオリエンタルな楽曲の制作やシンセやマンドリンなど幅広い楽器も取り入れ、日本人であることにもこだわった作品を作り演奏し続けた。そして盟友とNYCで出会うこととなる。そしてRobin’s Egg Blueが産声を上げる・・・
ロビンはNYCの地下鉄でのオーソライズアーティストから始まりNYC近辺のツアーも決行、アメリカから日本へのツアーも積極的に行い、サマーソニックなどの夏フェスにも参加。Youtube Tokyoでの公式ビデオPV撮影、マンドリンオーケストラとの共演など多岐にわたる活動で日米を忙しく駆け抜けていた・・・Robin’s Egg BlueのMasashiとして。そんな彼にとっての転機が訪れる。
富山県高岡市から価値を発信
Masashiにとってのソウルメイトであり、Robin’s Egg Blueとして音楽のパートナーでもあるAtsumiとの間に子供を授かった。身寄りもなく子供を育てながら音楽活動をNYCで行うことは、医療制度が任意で自己負担率の高いアメリカではなかなか容易ではない。子供の成長や教育の観点、自分たちの音楽との関わり方を熟考し、日本へ帰国することを決意。
富山に帰ってからは自宅のスタジオを拠点に楽曲制作やアーティストのサポート、音響PAの仕事、そしてアーティストとして様々なシーンでライブを行っている。帰国後も東京でも積極的にライブを行いつつ、SNSやライブ配信などで情報発信し、自らの楽曲もDLなどで販売も行っている。ライブでのCDを手売りするスタイルも顕在だ。デジタルコンテンツが当たり前のこの時代だからこそ、アナログな感覚にも価値を見出すこともできる。
ハイブリッドな手法で地方から全国、世界へ・・・そんな彼の新しいギアとしてStilbluが選ばれた。Robin’s Egg Blueはこれからも飛び続ける。